阿知波重尚(PL学園)の経歴や現在!松井稼頭央のライバル消えた天才が気になる!

8月25日放送の「消えた天才」で特集される方が話題になっていますね。

 

今回の放送では4人の消えた天才が登場しますが「松井稼頭央のPL時代のライバル」という方が特段注目されている模様。

 

松井稼頭央と言えば日本球界を代表する名選手の一人。

現在は西武ライオンズの2軍監督を務めてらっしゃいますが、そんな松井監督からして「絶対に勝てなかった同い年のライバル」と言わしめるほどの人物とは…気になりますよね。

 

当時のPLと言えば大阪のみならず全国でも屈指の強豪校。

そんな中で「消えた天才」は入部わずか3ヶ月でレギュラーを獲得、PL学園の5年振り春の選抜出場への原動力になりました。

 

それだけの選手ならばネット上に様々な情報があるはずなのですが、実はあまり情報がありません。

 

ですが、番宣内容・松井稼頭央と同い年でPL学園・1年生でレギュラーなどの情報からどなたなのかわかりました。

 

というわけで本日は、

松井稼頭央のライバルである消えた天才「阿知波重尚」さんの経歴や現在について書き綴って行きます。

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消えた天才・松井稼頭央のライバルはだれ?

元メジャーリーガー・松井稼頭央が絶対に敵わなかった同い年の天才

走・攻・守、3拍子揃ったプレーを武器に、メジャーでも活躍した松井稼頭央には、PL学園時代に全く敵わなかった天才がいた!

名門・PL学園で入部わずか3ヶ月、1年生でレギュラーを獲得した天才は、大学進学後に突然、野球界から姿を消した…

松井稼頭央が20年ぶりに天才と再会!天才が野球を辞めた真相とは

引用:www.tbs.co.jp/kietatensai/

 

番組ホームページの紹介文でもかなりの煽り文句を使ってますよね。

 

 

名門・PL学園に入学後わずか3ヶ月でレギュラーを取るのはまさに異例。しかも遊撃手!

 

これは清原・桑田のKKコンビを育てた名将・中村順司氏が、
「桑田、清原と同じく1年生から期待していた選手」「1年生の清原に背番号3を与えた心境と同じだった」と、その才能を称えるほどです。

さらには「当時の関係者から「消えた天才」には野球で教えることがないとよく言われていた」とまで回想されています。

 

第73回全国高等学校野球選手権大阪大会・夏の甲子園予選では、当時1年生の松井稼頭央(本名・和夫)や2年生の今岡誠や3年生の坪井智哉らと共に試合に出場し5回戦まで進出。

その後の秋季大会でもレギュラーとして活躍し、PL学園の5年振り春の選抜出場へと導きました。

 

まさに「PL史上屈指の天才」と期待されていた選手。

 

その消えた天才とは「阿知波重尚」さんです。

阿知波重尚(PL学園)の経歴や現在!

↑の動画は阿知波重尚さんのフェイスブックに投稿されているものです。

7ヶ月前に公開されたものですが、PL学園のOB総会の模様のようですね。

 

当時のPL学園と言えば厳しい上下関係で有名ですが、OB総会の風景もやはり体育会系の雰囲気がかなりしますね(笑)

 

阿知波さんの画像はネット上に全くありませんがフェイスブックのプロフィール画像と現在のお仕事に関するインタビュー記事でそれぞれ見ることができます。

かっこいいですよね!

 

現在の阿知波さんはこちら↓

 

右が阿知波さんですね!

高校時代より少しふっくらされてますがまだまだお若い感じですね。

 

誕生日は不明ですが、松井稼頭央さんと同学年ということですから43〜44歳。

愛知県の知多市出身、PL学園卒業後に青山学院大学に進学されています。

 

PLから青学と言えば先輩である坪井智哉さんと同じですね。

 

ただ、青学卒業後の経歴がびっくりなんと!「ルイヴィトン」です!

 

1997年4月から2002年8月までルイヴィトンで働き、その後愛知県清須市で「阿知波新聞店」を経営されています。

参考記事⇨hotweb.chunichi.co.jp/hanbai/201303.html

 

現在は「マスターズ甲子園」で「PL学園OBチーム」として出場ヨネックスレディース・プロアマなどのゴルフ大会にも出場されています。

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阿知波重尚はなぜ消えたのか?

ここまで経歴などについて触れてきましたが、

実は阿知波氏のフェイスブックや各種インタビュー記事・ネット情報などを見て回っても阿知波氏がなぜ消えていったのかについて書かれている文章は全くありませんでした。

そういった意味でTBS「消えた天才」での特集は「初めて語られる真相」になると思われます。

 

松井稼頭央が絶句したその理由とはなんなのでしょうか?

 

青山学院大学野球部に所属して1年目の冬、腕の怪我で1ヶ月の休養を取っていた時のこと、

同じ大学の友人との将来の会話がきっかけで「今までとこれからの野球人生」を考えていった阿知波さんは、「このまま生涯野球をやっていけるのか?」と思い悩んだそうです。

「こんな気持ちで野球をやっていいのか?」

朝から晩まで365日野球漬けの日々がこれからも続いていくことは決して当たり前ではないことに気づき「野球に100%向き合えない以上続けるべきではない」として2年生になる前に野球部を退部。

以降、表舞台から完全に消えました。

 

この手の話にタラレバは厳禁ではあると思いますが、あのままプロを目指していたら…と、やはり想像してしまいますよね。

 

野球を愛していたからこそ野球から離れた。

 

これが天才阿知波重尚が消えた理由でした。

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