小松原学の現在!接骨院の評判やケツメイシとは?消えた天才のプロフィール!

8月25日放送の「消えた天才」の番宣VTRや記事を見てて「誰だろう?」と気になっているのは私だけではないと思います。

「消えた天才」では周りから天才と称されながらも人知れず姿を見せなくなったスポーツ選手に焦点を当て、天才のその後を追うという番組な訳ですが、

番組HPなどで「あなたが知ってる消えた天才を教えてください」と視聴者が気になっている消えた天才を募集しており、大勢が気になっている人物が特集されやすい傾向にあります。

8月11日の放送では、リトルリーグで18人連続奪三振による完全試合を達成した「伊藤英二」さんや、甲子園史上最高の二塁手「町田友潤」さんなどが特集され、ネット上でも大盛り上がりでした。

伊藤英二の現在や進路!経歴やプロフィールは?18人連続奪三振の消えた天才!

 

8月25日放送回でも気になる「消えた天才」が何人も特集されるわけですが、私がもっとも気になっているのはサッカー選手。

【稲本潤一が「日韓W杯に一緒に出ると思っていた」と語る、幻の天才ストライカー】

というわけで本日は、消えた天才・小松原学さんの現在やプロフィールなどについて書き綴っていこうと思います!

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8月25日放送「消えた天才」のサッカー選手はだれ?

稲本潤一・中澤佑二が大絶賛!日韓W杯で活躍するはずだった幻の天才ストライカー

稲本潤一が「日韓W杯に一緒に出ると思っていた」と語る、幻の天才ストライカーがいた!
その天才は、飛び級で日本代表に選出されるなど大活躍をみせたが、わずか数年でJリーグから忽然と姿を消した…

消えた真相を探るため、元日本代表・中澤佑二が天才を直撃!
「死ぬしかない…」天才が追い詰められた真相とは

引用:消えた天才 番組ホームページ

番組ホームページに書かれているのはたったこれだけの情報ということで…

「このサッカー選手だれ?」とかなり話題にもなっていますね。

 

番組ホームページの情報以外でもこの消えた天才サッカー選手の記事が多数書かれていまして、様々な情報が明らかになっています↓

当時を知る元プロサッカー選手の中澤佑二氏は、黄金世代の中での飛び級の代表選出について、「考えられない」「天才中の天才」と、その才能と能力を絶賛。
 
 そして天才は、当時の最年少記録となる異例の速さでJリーグデビューを果たした。1年目から活躍し、チームの主力となっていくプレイヤーになると誰もが思っていた。稲本も「ワールドカップに一緒に出ているイメージはできていた」と期待を寄せていた。

 しかし、その彼が、ワールドカップ前年のJリーグに出場したのはわずか5試合。その後、天才は代表に招集されることのないまま22歳の若さで表舞台から姿を消した。

引用:オリコンニュース

 

ここまで情報があれば探しようが有りますよね。

 

稲本潤一より1世代年下

飛び級の代表選出

当時の最年少記録となる異例の速さでJリーグデビュー

 

ということで、

元ベルマーレ平塚の小松原学さんだと思われます。

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消えた天才・小松原学のプロフィール


↑は小松原学さんのツイートですが…数日前から「消えた天才」の番組宣伝記事などをRTしてらっしますのでほぼ間違いないと思います(笑)

 

小松原学 プロフィール

名前:小松原 学(こまつばら まなぶ)

生年月日:1981年4月2日 38歳

出身:群馬県

サイズ:身長182cm 体重70kg

所属クラブ:ベルマーレ平塚ユース(平塚学園高校)⇨ベルマーレ平塚/湘南ベルマーレ(1998年-2001年 )⇨ヴァンフォーレ甲府(2002年-2003年 )⇨FC湘南大磯(2003年 )⇨群馬FCホリコシ⇨(2004年-2005年 )⇨渋川FCハヤブサイレブン(2011年-2013年 )⇨ブランデュー弘前FC(2016年 )

 

小松原学さんの経歴で特に目を引くのが18歳までの活躍でして、

・小学生の頃所属していた地元クラブ・FC邑楽で全日本少年サッカー大会に出場

ベルマーレ平塚ユースで活躍

・中学生でU-17(18)日本代表に飛び級選出

・1998年4月11日のベルマーレ平塚vsセレッソ大阪戦でJ最年少出場記録(当時)を樹立。

・翌年1999年には18歳ながら25試合に出場して4得点をあげる

 

…すごいですよね。

この時代のU-18は黄金世代とも呼ばれており、稲本潤一・小野伸二・遠藤保仁・小笠原満男・中田浩二・高原直泰etc…一時代を作った選手ばかり。

そんな中小松原さんは飛び級で選出されたわけですから、どれだけ期待されていたかわかります。

 

さらに所属していたベルマーレ平塚は1998年当時、フランスW杯出場の立役者「中田英寿・呂比須ワグナー」が所属しており非常に注目されていました。

そんな中でのJリーグ最年少出場記録だったのでマスコミを大きく取り上げ、これからどのような活躍がされていくのかと大きな注目を集めていました。

…しかし、その後は度重ねるケガに悩まされてわずか7年で現役を引退されました。

小松原学の現在は接骨院経営!評判は?

画像引用:www.pass.bz/greeting.php

 

小松原さんは現役引退後、自暴自棄になりギャンブルで生活されていた時期もあったそうですが、一念発起し6年かけ柔道整復師・鍼灸按摩マッサージ指圧師の資格を取得、2012年に群馬県邑楽郡邑楽町で「Pass鍼灸整骨院」を開業されました。

ネット上の口コミ評価をざっと見て回ってみましたが評判も良いようですね。

 

さらに、「JEOサッカークリニック」という小中学生を対象としたサッカースクールを設立。

青少年育成の理念のもと、自ら子どもたちのためのサッカーグランドを作り、ほぼ毎日終業後みずから子どもたちを指導されています。

小松原学とケツメイシ?

 

小松原学と検索するとサジェストに「ケツメイシ」と出てきて気になる方も多いのではないでしょうか?

 

これは、2015年にケツメイシのツアーにトレーナーとして同行したことが要因のようですね。

 

群馬で接骨院を開業した小松原さんは梅沢富美男さんを診たことがきっかけとなり、有名アイドルグループやケツメイシのトレーナーになったとインタビューで語られています。

smartFLASHインタビュー記事

ちなみにですが、2015年のケツメイシのライブツアーDVDのおまけで小松原さんが登場されているようですよ!

 

というわけで、消えた天才「小松原学」さんについてでした。

引退後の活躍を見ると、情熱や行動力の方という印象を強く受けますね。

 

度重なる怪我で短い現役生活でしたが、今度はサポートする側に回って数多くの方々を救っている小松原学さん。

素敵な生き方で本当に尊敬します。

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